毒親・・・本当に嫌な響きの言葉ですが、こんな言葉ができてしまうほど苦しんでいる人が多いということだと思います。
実はこの記事を書いている私も壮絶な毒親のもとに生まれました。
でも、あなたは幸せになれます。絶対に。まず「私は幸せになるんだ」と決めてこの記事を読んでください。同じ経験をした私の気持ちがあなたに伝わることを信じています。
毒親に育てられたあなたが幸せになる処方箋〜私もそうでしたが幸せになりました
【まともに育ったことが奇跡だと言われた私の生い立ち】
私も強烈な毒親の家に育ちました。祖父母は戦後間も無い混乱期の中で生まれた私の母親に手をかけてやる余裕がなく、結果として愛を知らずに育った母親は結婚した私の父親ともうまくいかず、父親が母親に暴力を振るうようになり、それが母親の私に対する過剰な折檻(せっかん)の原因になりました。
今、思えば幼い頃からまともに愛情を受けたことがなく、祖母の不始末から祖父の弟に性的虐待まで受けた母親は日常的に不安定で、自分の安心感につながる愛情を求めていたと思います。
でも、求めるほど得ることができないこの世界はパラドックス。なぜなら「求める」ということは「ない」から「求める」ということ。世界は忠実にその人の本心を具現化するのです。
間も無く母親は父親と離婚、二番目の父親が来ましたが、人間はそばにいるものの波長的な影響を受けます。
二番目の父親もその過剰な折檻に加わるようになり、夜中まで、血が出るまで私に対する殴打が続くこともしばしば・・・
いつも「こんな子、殺してしまえばいい!!」という罵声が飛び交う家庭でした。
この時の経験を大人になってからあるカウンセラーに話すと「いろいろな人を診てきたが、あなたの例は特にひどい方だと思う。今、社会人としてまともに仕事ができていることが奇跡だ」と言われました。
典型的な「毒親に育てられた子」と判定されたのです。
ある心理学者の方にお伺いした話ですが、母親との関係というのは、そのまま大人になってからのその人と世界との関係に合致するそうです。
なぜなら幼い頃の世界はそのままイコール母親だから。仕事に出る父親はあまり子供と密接な関係を作ることができません。
目の前の母親がそのままの世界。母親が言ったことがそのままの事実になります。
母親が愛してくれないならば、世界は愛してくれない。母親がひどい人なら世界はひどい世界。母親が不安定であれば世界も不安定。母親が恐ければ世界も恐い・・・ものの見事に合致しており、例外を探す方が難しいということなのです。
そして幼い頃にできた世界観はそのまま世界を見る色眼鏡となり、そのままの認識で世界を見ます。そして、人間は自分が信じたことをそのまま自分の前の世界に現実化します。
幼い頃に母親からの過剰な折檻を受けた私もその例にもれず、学校に通うようになってから同じような世界を自分の前に作り上げました。
気まぐれで過剰ないじめをしてくる同級生。強権的な上級生たち・・・その時に私を生かしていた唯一のモチベーションは「いつか見返してやる」というこの世界に対する復讐心だけでした。
しかし、そのモチベーションはやがて限界が来ます。「世界は私に冷たいからいつかその世界を見返してやる」の前提は冷たい世界。何かをやろうとすれば当然自分一人でできることは限られています。
ところが前提が「冷たい世界」なので、何をしようとしても周りは協力してくれない。当初は協力してくれてもいつのまにかあれよあれよという間にうまくいかなくなってしまう・・・
ずっと、ずっと・・・格闘が続きました。そして、自分の中に閉じ篭るようになったのです。
このころはまだ「毒親」という概念すら知りませんでした。
【精神世界〜ジョセフ・マーフィーとの出会い】
格闘して、格闘して・・・なんとか光明が見えたと思っても、最後の最後に安心させておいて、そこから突然嘲笑うかのように手から幸せがすり抜けていく・・・
どうして世界はこんなに意地悪なのだろう・・・その頃には母親はすでに二番目の父親とも離婚しており、かなり弱くなっていましたが、私は依然として冷たい世界と格闘していたのです。
ところがある日、本屋さんで一冊の本を見つけました。精神世界の第一人者であるジョセフ・マーフィーの本でした。
マーフィーの唱える「自分が考えることがそのまま世界を作り出している」という主張は非常にショッキングな内容で、目の前の本の文章が何を言っているのかわからず、その場で何度も何度も読み返したことを覚えています。
結局購入し、毎晩家で読み続ける日が続きました。
「自分が望んだことをずっと思い続ければ、それは目の前の世界に現れる・・・」今まで私が経験していたことはなんだったのだろう・・・
にわかに信じられることができませんでしたが、試しにキャンディー一つ、コーヒー1杯と試してみると面白いように引き寄せることができます。
「何?!これ?!」
どうやら、自分には抵抗がないことは面白いように簡単に引き寄せられるようです。しかも、お願い事をしてからしばらくしてそのことを考えなくなった頃に、不意をつくように「ひょい!」と現れる・・・
これなら自分の人生を変えることができる・・・私は今までなんて勘違いをしていたのだろう・・・
偶然なのか何なのか(今考えれば偶然ではないとわかりますが)、この頃から「引き寄せの法則」という言葉が世に出回るようになり、私はだんだん、そう言った不思議な力があるのだと受け入れられるようになりました。
【唱え始めた「ありがとう」が生み出したもの】
ところが、自分が本当に願っていることはものの見事に叶わない・・・「これを叶えれば私の今までの人生の生きてきた意味がわかる、報われる」と思えるようなことは全く叶わないのです。
どれだけ願っても、心に思い描いても世界は頑として動こうとしない。
私にはその時思い続けていた人がいました。この人と一緒になれれば、「今までの私の人生はこの人と出会うためにあったんだ」と自分の人生と和解できる・・・そうなれば今までのもの全て、母親も含めて許すことができる・・・
ところが願おうが心に思い描こうが状況は一向に改善しない。それどころがどんどん相手が離れていく・・・結局10年間思い続けたその人は別の人と結婚し、私も別の人と付き合い始めました。
私が付き合ったその人は私と価値観がすごく似ており、しばらく幸せな時を過ごしました。しかし、その人も私と同じような問題を抱えており、やがて状況は急展開を迎えます。
ある日、本を読んでいると「ありがとうをずっと唱え続けると世界は変わる」と書いてありました。その頃にはそのような精神的な考えに対してかなり抵抗がなくなっていた私は素直に「ありがとう、ありがとう」と唱え続けました。
テレビを見ている時も、車を運転している時も、仕事中に手が空いた時も・・・ずっと、ずっと「ありがとう、ありがとう」と唱え続けたのです。
そうすると確かに世界は変わるのです。劇的な変化があるというわけではないですが、少しずつ物事がうまく回るような気がします。いや、実際にトラブルは明らかに少なくなりました。
でも、「ありがとう、ありがとう」と唱えている間に、口は「ありがとう」と動いているのに、心の奥底からいろいろなものに対して許せない気持ちが湧き上がってくる・・・
気がつけば頭の中で色々なことに不満をぶつけながらも、それでも「ありがとう、ありがとう」と唱えている・・・その辺りから周りの世界にあまり変化を感じなくなりました。
いや、変化していたのだと思いますが、私の意識がどうしても湧き上がってくる不満に吸い寄せられてしまい、その変化に気づかなかったのでしょう。
でも、その不満は確実に私の中にあったものであり、それが噴出してきていても見ないようにして「ありがとう、ありがとう」と唱え続けた状況はある日突然大きな変化を迎えるのです。
【激流のような抗えない変化が一気に押し寄せた!】
ある日、付き合っていた人に「家庭の事情で別れてほしい」と言われました。正直、私はこのような時が来るだろうと予想していました。
私とその人はすごくよく似ていましたが、お互いがお互いを鏡のように映し出すような関係に耐えられなくなっていたのもわかっていたのです。
別に嫌いになったわけでもない。でも、おそらく続かないだろう・・・というのは薄々わかってきていました。
そして、妙な偶然ですが私が「ありがとう、ありがとう」と唱え始めてからいきなり相手の家庭の事情が大きく変わるようなことが起きてしまっていたので、ある程度の覚悟もできていたのです。
しかし、変化はそれだけでは終わりませんでした。
その人と別れたことをきっかけとして、口では言い尽くせないような濁流のような変化が押し寄せてきたのです。
祖父母が急激に衰え、認知症を発症しみんながバタバタして混乱してしまう・・・母親のアルコール依存症が急激に進む・・・職場の環境が急激に変わり、とんでもないような過酷な条件になってしまう・・・友人との間、もしくは友人同士で片っ端からトラブルが起きて、どんどん友人が去っていく・・・
これはもう「断捨離」と呼ぶのも壮絶すぎる展開で、呆然としている暇もなく、ずっとずっと荒波の中を翻弄されていました。
【意識が広がるとともに悪化した終わりなく続く格闘の日々・・・】
ただ、断捨離で人がいなくなる一方ではなく、この頃から新たな縁もできて、特に色々なスピリチュアルな人との繋がりが増えました。そしてそのような人たちの伝(つて)で多くのスピリチュアルな能力がある人にも会うことができました。
説得力がある内容を話してもらえるし、実際にその人たちと一緒にいるとあり得ないようなことが起こるので、私は抵抗なくこういったスピリチュアルの世界へと入っていきました。そう、経験してしまうと認めざるを得ないのです。
ただ、そういう人たちと繋がることによって気づきは増えましたが、私の状況はあまり変わらないままでした。いや、逆に悪化したと言った方が正しいかもしれません。耐えず荒波に揺すぶられているような不安定さ・・・あっちこっちでトラブルが起きて、気が休まる暇がない。
そのアクシデントに揺すぶられた心は警戒心で身をガチガチに固めて不信感を募らせていく・・・
でも、この時の経験も今であればわかります。
人間は間違いなく自分自身で目の前の世界を作り出しています。引き寄せの法則というのは欲しいものを引き寄せたいときにだけ働く法則ではなく、常時100%働いています。
ただ、普通の人はその法則に気づいていないので、常時働いている引き寄せの法則の結果にも気づきません。
だから、自分が考えていることにも無頓着で、その無頓着な考えがそのまま無頓着な世界を引き寄せてしまいます。いや、引き寄せるというよりも周りに作り出してしまうのです。
もちろんその結果として「先は読めない」「一歩先は闇」の世界になります。
でも、スピリチュアル的な感性が豊かな人と交流し、そういった世界のことをさらに意識するようになった結果として、私は意識が拡大し、より敏感に自分が考えているものを引き寄せるようになっていました。
そして、荒波に揺すぶられれば揺すぶられるほど、その荒波のことを考えてさらに荒波を引き寄せるという悪循環の中にいたのです。
引き寄せの法則は万能です。でも、それを意識して使えるようになればなるほど、自分の思考に責任を持たないといけないのです。
なぜなら「自分が考えたものを引き寄せることができる」と自分が信じれば信じるほど、引き寄せの力は強くなるからです。確信が引き寄せの法則を強くします。
意識が広がって頭では理解していても、肝心のいつも考えていることが変わらないのであれば、それはむしろ逆効果です。引き寄せることができるのはわかっている。でも考えていることが否定的なことばかりであれば、引き寄せの能力は上がって否定的なことばかりがやって来るのです。
いいことを引き寄せることができるということは、悪いことも同じくらい引き寄せることができるということ。引き寄せの法則は常時思考に反応する機械的な法則です。
でも、ひょっとすると私のその悪循環も、私が散々揺すぶられて白旗降参するまで「そんな考えを抱いていていいの?そっちの方向でいいの?」と確認してくれていた宇宙の粋な計らいだったのかもしれません。
【苦しんで苦しんだ先に見えたもの・・・】
そして、そのようなスピリチュアル的な感性が豊かな人とのお付き合いも、ある日、これまた突発的な出来事が原因でほとんど消えてしまいました。
そのスピリチュアル的な感性が豊かな人たちの中のお一人の友人が、私のことを一方的に勘違いしてしまい、私を脅迫してくるようになり、挙げ句の果てに私の職場にも影響するようになったのでご縁を切らざるを得なくなったのです。
でも、ちょうどその頃、私はそう言ったスピリチュアル的な感性が強い人に頼ることに違和感を感じてもいました。
どれだけ正確なアドバイスをいただいても、それは単にアドバイスであり、実際にこの世の中を変える決断を下すのは私です。
意識はどんどん広がって、この世の中に影響を及ぼす度合いは大きくなる一方で、私は過去の自分については決定権を放棄していました。
むしろ「私はあの母親から生まれたからこんな不幸なんだ。あいつが全て悪い」と被害者であることを選択していたので、この世界は私の意識が広がった分、より忠実にそれを実行していたのです。
私は心の中に依然として毒親を存在させていたのです。
【思考を無理やり変えてしまおうと格闘した結果・・・】
ある日、私は「録音アファメーション」というものを始めました。
これは自分で「私の人生は素晴らしい」というような文言をスマートフォンなどに録音し、それをリピートで延々と聞き続けるというものです。
願望実現法として有名なのが「アファメーション」ですが、これは自分で口から発する作業です。アファメーションとは世界に対して「私の世界はこんな世界である」という宣言であり、自分こそがこの世界の創造主であるという意識が強ければ強いほど効果があります。
ただ、人間というのはやはり目の前の世界の圧倒的な説得力に惑わされてしまい、そう言った宣言をあっという間にひっくり返してしまいます。なので、暇を見つけてはアファメーションを唱えることによって、自分の望んでいる世界に自分を向けなおしてやる必要があるのです。
これは確かに強力な願望実現法ですが、私のように自分で言うのもなんですが壮絶な家で育った人間にとっては一日数回のアファメーションでは焼け石に水です。
自分でも自分の思考を直してやりたいと思っているのに、気がつくと否定的なことを考えているのです。自分の思考にそのような隙を与えないように延々とアファメーションを唱え続けるしかないのです。
ただ・・・確かにこのやり方で人生を激変させた人はいっぱいいるのですが、これは本当に疲れます。荒業です。
そこで出てきたのがこの「録音アファメーション」でした。アファメーションを自動で強制的に自分に浴びせるのです。
しかし、この録音アファメーションを始めてみたものの、最初はその効果をあまり信じることができませんでした。録音アファメーションは耳のイヤフォンから一方的にアファメーションを浴びせられるだけで、こっちは受動的に聞くだけですから、ついつい意識がそのアファメーションから離れてしまい、また否定的なことを考えたりします。
口から発するアファメーションであれば、自分の口を動かしている分、まだマシじゃないかな・・・とも思えたのです。なので、最初のうちは録音アファメーションを始めたと思えば「やっぱり効果がなさそう・・・やめよう」の繰り返しでした。
ただ、やはりそれでは状況は変わらないし、ネット上の情報では「録音アファメーションで効果があった」と言う情報が少なからずあったので、また始めることにしたのです。
今回は自分が聞くアファメーションの種類を絞り込み、一日に何千回も集中して聴き込むことにしました。
聴き込むと言っても、やはり意識が離れてしまっている時がありますが、そんなことを気にせず聞きこんでやろうと・・・
最初の頃は聞いているうちに「こんなの、ずっと聞いてても私の気持ちは変わってない!!こんなので変わるわけがない!!」と気持ちが爆発しそうになりましたが、でもここでやめてしまうとまた同じことの繰り返し・・・
そんな声は無視してとにかく聞き続けることにしたのです。「聞くだけで人生が変わるなら安上がりだ」と自分に言い聞かせて・・・。
そうすると、やはりしばらくして状況が変わってきました。
ず〜っと、ず〜っと聞いているうちに、自分の意識していない部分にそのアファメーションが貯まっていっている・・・そんな感じなのでしょうか。最初の数日間踏ん張って聞いているうちに、アファメーションで聞いている内容に関してはあまり否定的なことを考えなくなっていました。
録音アファメーションをしていても否定的なことを考えていたら結果は出ない・・・と言うのはあくまで表層意識の判断であり、自分のわからないところ、つまり潜在意識にそのアファメーションが蓄積されていったのです。
【どうしても無視できない母親】
確かに聞いているだけで少しずつ変わる・・・これはびっくりでした。
今でもまだ信じられない気持ちが残っています。でも、その信じられない気持ちを押し流すくらい怒涛の勢いでアファメーションを浴びせるので、私が「やっぱりこれは効き目がない」と判断してそれを世界に反映させる暇がないのかもしれません。
しかし、それでもその録音アファメーションの効果に対峙する感情が存在していました。それは母親への感情です。
当初はなぜかわからなかったのですが、私が録音アファメーションに励み、一生懸命になればなるほど、母親のアルコール依存は悪化していきました。実は、私は自分を不幸にした諸悪の根源であるあの母親から逃げるために、ユートピアを作り上げるが如く理想のパートナーを作り上げ、その人との世界の中に逃げ込もうとしていたのです。
でも、逃げるには追いかけてくる相手が必要になります。私が逃げようとして録音アファメーションに一生懸命になればなるほど、母親は酷くなりました。
私の印象では録音アファメーションで聞くアファメーションの種類は、やはりある程度絞り込み、集中的に聞いた方が効果が上がる印象です。
あれもこれもと欲張って聞いてしまうと、効果がないとは言いませんが、やはり効き目が分散してしまうような気がするのです。
私は本当に幸せになりたいと思っていました。だから尚更その世界への宣誓であるアファメーションの中に母親のためのスペースを割いてやるなんて嫌だったのです。
「どうしてあんな人のために・・・勝手に朽ちていけばいい!」
ところが身近にいる人の影響は確実に伝わってきます。どれだけ録音アファメーションに励み、本来の幸せな世界が現実化しようとしても、呂律の回っていない母親が大きく上から心に覆いかぶさって来る・・・。
ここまできてまだこの人は毒親を演じるのか!!
私は幸せになりたいと思っているけど、どうやら母親を無視した状態では無理らしい・・・いや、できる人もいるんだろうけど、私には無理なのかな・・・
そして、私はとうとう観念し、録音アファメーションの中に「なぜかわからないけれど、あらゆることがどんどん良くなっていく」という文言を入れることにしました。
これを「母親」限定にするには抵抗がありました。でも、他のことも同じように良くなってくれるのであれば、それはそれに越したことはない。
そして、しばらく聞き続けると、一時的にまた母親は悪化しました。おそらくそのアファメーションを聞き始めた私の意識が「全然良くなってないよ! 良くなるわけがない!」と抵抗していたのでしょう。
ところが、ある晩にちょっとしたことが起きます。
【復讐のために生きているということ】
寝ていると大きな「パキッ!」という音で目が覚めました。私の住んでいる家は割と古い家なので、温度の変化によるものなのかなんなのか、このような音が鳴ることはあります。別にラップ現象と呼ばれるようなものではないでしょう。
ただ、ベットの向こうで何かが明るく光っているので「何かな?」と思い見てみると、友人からLINEのメッセージを受信したスマートフォンが光っていました。
真夜中だったので、眠い目をこすりながら友人からのメッセージを確認すると、なぜかそこから寝付くことができなくなってしまい、引き続きスマートフォンでお気に入りの中からブログを開き、そのブログを何も考えることなしに眺めていました。
そして、何気なくリンクをクリックするとあるカウンセラーさんのブログ記事にたどり着いたのです。
そのカウンセラーさんの記事は、私と同じように毒親から虐待を受けた人についての記事だったのですが、それを読んでいるうちに私の中でふと感じたものがあったのです。
「母親は私を愛していなかったわけではない。自分が愛されていなかったから愛し方がわからなかった。だから一生懸命に愛を求めた。私も愛が欲しかったけど、彼女も愛が欲しかった。それが連鎖していた」
これで少し「くるん!」と世界が変わったような気がしました。
私は愛されていないと思っていたから、愛してくれる人を求めていた。母親も愛されているとは思っていなかったから、愛してくれる人を求めていた。
私は愛される権利がないわけではない。でも、私に「愛されている」と実感させてくれるべき人もそもそも「自分が愛されていない」と思っていた。
そして、それは母親の父親である祖父も同様であり、祖父の親も同様です。
そのまた上の世代となると戦争や飢饉などで生活に余裕がなく、そのようなことを考えることができなかった世代なのかもしれません。
それまでの私は母親に愛されていなかったことでその事実を憎み、母親も憎みました。そしてまたそれが理由で「私にはどうせ愛される権利がない」と自分を裁き、そんな私に仕立て上げた母親に対する復讐が生きがいでした。
そのカウンセラーによると、うまくいっていない人の多くが家の中で親との関係に問題を抱え、しかもほぼ100%がそういった親に対する復讐のために生きているということです。
「私がこんなことになったのはお前らのせいだ。でも、私がどれだけ訴えてもお前らは聞いてくれようとしなかったから、私はこうなった。こんな私を見てお前らは謝れ!!これからもっとこんなことを見せてやる!全部お前らのせいだ!」
ただ、そもそも母親には愛し方がわからなかった。そしてそれは祖父も祖父の親も同様でした。そしてその子も愛し方がわからず、毒親の子はやがて自分も毒親となっていくのです。
ここで私が聖人君子のように大きく変わったかといえば嘘になります。でも、「仕方ないか・・・」となり、母親にはどうしようもなかったのだということがわかるようになったのです。
【どうしてそんな親を選んで生まれてきたのか】
スピリチュアル的な感性が鋭い人は、およそ7〜8割くらいが「人は自分の親を選んで生まれてきている」と言います。私は初めこの考えが理解できませんでした。たとえ毒親と言える親であれ、自分が選んで生まれてきたというのです。
子供の頃、私の毒親との生活は文字どおり「地獄」でした。そんな中にわざわざ生まれてくることを選んだなんて考えられない・・・もしそうなのだとしたら、そんな毒親がいるところを迂闊にも選んだ自分に腹がたつ。
今でも母親の上の祖父、そしてその上の親、そしてそのまた親に遡って「このやろう!お前らのせいでこうなったんだ!!」と殴り込んでやりたいような気持ちがあります。
ただ、スピリチュアル的な感性が鋭い人と付き合えた経験があったからか、「自分の世界は自分が作り出している」ということを証明するような事実が今急速に、まるで鏡のように全てが繋がって押し寄せてきているような感じです。
自分の周りの世界を判断すると、どう考えても自分の思考が作り出している、これは確実です。
となると・・・この世界を創造した神はそこまで私に自由を与えてくれているのに、生まれてくる環境だけは神のいいなりで有無を言わさず強制的だったのか・・・と考えるとまた無理があるような気がするのです。
私たちは神の分身だと言いますが、それは神のいいなりではなくみんなが神であり、みんなが自分自身の世界を作り出していると言われています。では、あえてこの世界を自分で創り出して生まれてきた自分の選択はどうしてだったんだろう・・・と思えます。
最近は、我々が絶対的だと思っていたこの3次元の世界をひっくり返すような研究結果がどんどん発表されています。
「我々の目の前の世界は、我々が自分の思考で作り上げている」ということがどんどん証明されてきているのです。
我々は自分で生まれてくる世界をあらかじめ創造し、設定しておいた・・・そしてそこに生まれてきて壮大なホログラフィー・ロールプレイング・ゲームが始まった・・・。
でも、圧倒的な説得力がある目の前の現実にすっかりのめりこんでしまい、いや溺れてしまい、そこから這い上がれない人も出てきました。
ちょっとゲームの難易度を上げすぎたという感じでしょうか。
でも、そのゲームの中にはお助けキャラが現れてきて、あなたに色々と助け船を出してくれます。その一人が私なのかもしれません。
そして、それ以外の現実でもどんどん最新科学の力でこの世界の曖昧さが証明されつつあり、あなたが自分の考えで自分の世界を変えることができるのだと教えてくれつつあります。気づき始めたあなただからこういった情報が伝わるのです。
では、あなたはどうして今の人生を選んだのでしょう。毒親の虐待を経験したかったから・・・?いえ、断じて違います。
あなたが経験したことは、同じような経験をしているとはいえ、私が何かを申し上げるのもおこがましいほど壮絶なものだったでしょう。そのような経験を正当化するなど誰にもできません。
あなたが「毒親」とまではいかなくても、少し否定的な環境を選んで生まれてきたのは事実です。でも、感受性豊かなあなたは幼い頃に見た親の過剰反応を心の中で拡大させ、それを目の前の世界に投影させた。そして、いつの間にはその親は毒親となった・・・
そう、人間は自分が信じたものを目の前の世界に投影します。
あなたがある人に対してある判断をすると、その人はますますその判断に合わせて振る舞います。あなたがある人を「柔軟性のない人だな〜」と思うのとますますその人はその考えを強化するような振る舞いをするでしょう。それが引き寄せの法則です。
それと同じことがあなたが幼い頃に起こった・・・というのがもっともあり得るケースなのです。
最初はその人は毒親ではなかった・・・でも、ほんのちょっとしたアクシデントでどんどん毒親になってしまった・・・
あなたは何も毒親を求めて毒親の下に生まれてきたわけではなかったのかもしれません。
でも、それも今のあなたにとってはどうでもいいことです。生まれてきた時の親が毒親だったかどうかなんて今のあなたにはなんの役にも立ちません。
あなたはそのような経験をした後で今、強烈に光を求めています・・・
ここまでの経験をしたあなたは「自分が望んでいるものは光しかない」とわかっているはずです。
ずっと光の中にいた人にはその光のありがたみがわかりません。だから知らぬ間にその光を失うこともあります。
でも、闇を経験したあなたはずっと光を切望し、自分が求めているものは光だと心底わかるようになった・・・。
そんなあなたは絶対に光を離さないでしょう。
本来の宇宙の姿は「愛」であり「調和」です。
自分が心の中に思い描いたものはなんでも引き寄せられてくる・・・これは宇宙の愛の力です。
どうして、そんな愛の力があなたにもたらされているのか・・・あなたが望む幸せを目一杯経験してほしいからです。
でも、ずっと幸せの中にいたあなたには幸せに埋没するあまり、何が幸せなのかわからなかった。
幸せとは何なのか、実際に肌で触れて体験することによって、自分の世界に満ちている幸福をさらに昇華させたい・・・でも、幸福の中にいればその幸福はわかりません。
だからあえてそんな環境を選んだ・・・
「どうしてこんな毒親のいる環境なんだ」とこの世の中を殴りつけてやりたいこともある。神様に一体どうしてそんな権利があるんだと言いたいこともある。
でも、本当のところ、そんな神様はいなかったのです。なぜならあなたが神だから。
ここから手にいれる幸せをあなたは絶対に離しません。あえて闇を経験したことにより、あなたは眩しいほどの幸せの価値がわかるようになった。そして、あなたは自分の中に感じられる幸せのレベルを最大限にあげて、それはいずれこの全宇宙の幸福を上昇させます。
なぜなら、この世界があなただからです。最大限の幸福を経験することによって、あなたは宇宙に貢献しているのです。
そして、あなたが心の中に抱いた幸せがさらに幸せを引き寄せ、宇宙は調和のうちに次元を上げていくことになるのです。
幸せを求めてください。大胆に「私を幸せにしてくれ!」と宇宙にリクエストしてください。あなたは今までそのリクエストの方法を知らなかったので壮絶な経験をしました。
ひょっとしたら、宇宙はその都度あなたを救い出すようなヒントを出していてくれていたのかもしれませんが、目の前の現実に精一杯のあなたにはそれが目に入らなかったのかもしれません。
でも、あなたはもう幸せになれます。あなたは有り余るほどの幸せを経験するべくこの世に生まれてきたのです。
あなたが幸せを求めるだけでこの世界は変わります。気がつくと落書きだらけだと思えたあなたの人生のキャンバスは真っ白になっているでしょう。
毒親に育てられたあなたが幸せになる処方箋 まとめ
あなたは自由な存在です。自分の力でこの世界を創り出すことができますし、過去でさえも変えることができるのです。気がつくとあなたにとっては毒親だった人が、愛溢れる存在に変わっているでしょう。
そして「本当は毒親なんていなかった」ということも思い出すかもしれません。なぜならこの世界はあなたが作り出した世界だからです。
あなたが「毒親なんていなかった」と気づけば、過去のそれに合わせて変わるのです。
そう、もともとその人は毒親ではなかったのです。